企業の守護神的存在を目指す大阪府大阪市淀川区の社会保険労務士事務所です。

経営コラム PART2 3

自分が進化し続ける為の時間の有効活用

 近頃、電車に乗っていて思うことは、周りを見渡してみるとほとんどの人がスマホを覗いているので、乗客の人はうつ向いた姿勢の人が多く、偶然目が合うことはほとんどなくなったなあと感じています。

 いわゆる時代の流れで、群衆の光景が昔と変わってきている事の典型例なわけですが、そこで大切なことはこの光景と同じように自分もスマホを覗いてないとカッコ悪いとか、時代遅れに思われるなどと思わないことです。

 要するに、右に倣えの横並びの教育を受けてきた世代の人達にとっては、みんなと同じことをやっていることが安心感につながるという潜在意識は働くのかもしれません。

 そして、スマホを仕事の連絡ツールに使っていたり、プライベートの連絡ツールに使っているので、そのやり取りの続きや確認のために覗くことはもちろん有意義な時間です。

 しかし、必要もないのにだらだらとスマホでネット検索やアプリやゲームで時間つぶしというのも気分転換になる程度ならいいのですが、それが生活の隙間時間のほとんどに充ててしまうと、自己成長が止まってしまうリスクがあります。

 逆にみんながスマホで不必要な時間つぶししている間に、自己啓発の為に読書をするとか自分の本業の専門書を読むとか、もちろん今の時代ですから、電子書籍でもいいですし、興味のある漫画本や電子コミックでも、自分の視野や世界観を広げる為の時間なら、どうせなら電車での移動時間も有意義な時間に使わないと損だと言えます。

 時間というのは、全人類平等に与えらえているわけで、仕事の時間や家事育児の時間という一日で自分が拘束される時間以外の隙間の時間の有効活用が、自分が進化し続けられるどうかにかかっているのです

間違いのない人間教育とは

 会社での社員教育や家庭での子供の教育で、褒めて伸ばすという手法があります。人は褒められると嬉しいので、褒められた人に対しては好感を持ち、人間関係が良好になっていくのですが、褒めてばかりでは人の成長は止まってしまうのです。

 なぜならば、褒めてばかりでは世間を甘くみてしまい、自己研鑽を怠り、更なる飛躍を望めないことになるので、褒めるべき時に褒めて、叱るべき時に叱るということが自然的になされる必要があります。

 この褒めるべき時とか叱るべき時の判断が公平でなければならず、特定の人をひいきしているような感じや特定の人を目の敵にしているような感じにならないように、子供の教育においても、二人以上子供がいる場合は、子供間で公平性を担保して、組織全体や家族間の信頼関係を保っていくことが前提です。

 この公平性を貫くために、どのような場合に褒めればいいのか、どのような場合に叱ればいいのかは、自分の中の基準を確立する必要があります。

 これは、社内の教育で言うと、もう既に教育担当の立場から更に出世して、会社の幹部になっている人に教育担当者時代の苦労話を聞きにいって学習するとか、子供の教育で言うと、自分の子供と同世代の子供さんを抱えるママ友のような人に子育ての苦労を聞いてヒントを得るなどが効果的だと思います。

 すなわち、自分一人の経験では限界があるので、自分と境遇の近い人の話をより多く聞いてサンプルを増やしていって、自分の中の基準の精度を上げていくことが間違いのない人間教育につながっていくのではないでしょうか。

 

 

会話力を自然と身につける極意

 人とのコミュニケーションで一番大切なのは、言うまでもなく会話です。この会話力が身につかないと、仕事における取引先との関係や友人や恋人関係や夫婦関係などにいたるありとあらゆる人との交わりが円滑に行われなくなり、社会生活に支障を来たす結果となります。

 では、この会話力というものはどこで学ぶのかというと、これは誰かに教えてもらうものではなく、自分でコツを掴むものですから、いろんな人と交流を図って自分なりの立ち位置というかポジションを確立すると良いでしょう。

 これは、どういうことかと言うと、話すのは得意なのだけれど聞くのが苦手な人もいますし、聞くのは上手なのだけれども、話すのが苦手な人もいます。

 まずは、自分の得意分野をいろんな人との会話の経験から知り、自分が話すのは得意だけれども聞くのが苦手だと思ったら、その苦手分野である聞く力を身につける努力をして克服していかないと、いろんなタイプの人に対応できないというわけです。

 ここまでは、どの分野にでもいえる得意分野を伸ばして苦手分野を克服するというアナライズの手法ですね。

 次に、その克服のノウハウはどうするのかということですが、これは自分と正反対の人を真似ることから始めるということです。

 先ほどの例でいうと、話すのは得意だけれども聞くのが苦手な人で言えば、聞く力のプロと言えばアナウンサーとかテレビ番組の司会者のような人ですから、その人達をよく研究することですね。

 そうすると、アナウンサーや司会者の人が必ずしも相槌を打っているだけではないと気づくわけで、相手の話をあまり完璧主義にならないように要点を押さえて大枠を掴むという技術が必要であるとわかるようになります。

 そうでないと適確なレスポンスができず、会話のキャッチボールがスムーズにいかないので、番組が成立しないからです。

 これを普段の会話の中で色々試しながら、相手のタイプに合わせて相手が居心地がよくなるように話し手側・聞き手側と臨機応変に役割を演じていくことで、自然と会話力というのは身につくのではないでしょうか。

 

マイペースな精神が息の長いパフォーマンスを生む

 毎日の日課としていること、会社の業務で言うと清掃や朝礼といったことは職場環境の衛生面の維持向上に必要であったり、連絡事項の周知徹底や会社の経営方針の意思疎通のため等いわゆる会社の維持・発展に不可欠なものは欠かしてはいけません。

 ただ、毎日の日課としてみたもののいざ実現しようとすると目の前の業務に追われて後回しになったり、時間内に終わらず無駄に残業が発生してしまう結果となるような業務は日課として縛らず、できる日にやるというようなマイペースな感じで予定表に入れておくと良いのです。

 よくあるのがミーティングや会議といった名目の業務があげられますが、これも週一回や月一回の定例的なものは必要でしょうけど、あまり短時間であっても毎日とかインターバルが短く開催するようなことを業務化してしまうとルーティン作業や事務処理や営業という本業的な業務に支障を来たしてしまい本末転倒な結果となるからです。

 これを、自分の事業のブランディングや営業促進にSNSを利用されてる方が毎日のようにブログやフェイスブックやツイッター等で何か発信するというようなことを自分の中で日課として義務付けてしまうと、急に自分がインフルエンザで寝込んだり、ご家族に何か健康上のトラブルが発生した時に投稿や発信を休むと罪悪感を持ってしまうようでは、精神衛生上も良くないですし、何もトラブルなく健康な時であっても毎日やることに縛られると息が詰まり、ストレスとなり、これまた本末転倒な結果となります。

 ですから、絶対自分にとって欠かせないことは日課にしていいですけど、その日課にすることを極力絞り込んで、あとは気が向いた時にやるというようなマイペースな精神が息の長いパフォーマンスを生むことになると言えます。

 

今の時代に不世出の天才として世に馳せるには

 最近の傾向として思うのが、、少し尖った発想や奇々怪々のパーソナリティの方が人の興味や関心を引き、魅力があって目立つから他者と差別化できますよという風潮が蔓延しているのではないかと思います。

 それが、人と少し変わった発想や行動パターンのある人はさも優れているかのような解釈につながってしまうと、何でもオーバーな表現やリアクションさえ取ればよしということにつながってしまうので、常識やモラルやマナーという標準的尺度が捻じ曲がってしまう危険もはらんでいます。

 具体的に分かりやすく言いますと、日本人の美しいメンタリティーの一つに謙虚さというものがありますが、そんな従来の日本人のメンタリティーとは逆のベクトルを突き進むかのごとく慇懃無礼な言動も個性があって今の時代では良しとされてしまうと、その古来から日本人が良しとしてきた価値観を否定することも変わった発想の持ち主となり、さも今までには無い新しいタイプの日本人として魅力的な人物像ができていって、日本人の伝統的に優れていたメンタリティーが崩壊するということと表裏一体なのです。

 誰でもが、インターネットの発達によって、手軽に発信できる時代になり、そこで他者との差別化や目立とうとすることもアイデア次第で容易にできるといえども、解釈を履き違えて善悪や伝統的価値観やモラルやマナーを無視してでもインパクトさえあれば良いという基準で行動すると、世の中に多大な迷惑や不利益を与えてしまうということです。

 すなわち、安易に目立つだけの精神ではすぐ出る杭は打たれてしまう難産な時代なので、斬新で衝撃的で美しく微笑ましい表現力やパーソナリティの持ち主でなければ、不世出の天才として世に馳せることは無いと言えます。

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